堤町まちかど博物館~堤焼六連の登り窯の保全と活用の取り組み~
堤焼と六連の登り窯の歴史
堤町は奥州街道沿い、仙台御城下の北のはずれで、北方警備のために足軽屋敷が置かれた町です。このあたりは古くから良い粘土が採れるため、副業として焼物づくりが奨励され、軒並み窯元が並んでいました。その焼物は、“堤焼”と呼ばれ、かめやどんぶりなど生活に欠かせないものがつくられ人々に愛されてきました。寒い冬の間には“堤人形”という土人形がつくられ人々の生活に潤いを与えました。
町の近代化とともに、しだいに大量生産の商品に押されるようになり、現在この町で堤焼をつくる人はいなくなってしまいました。今では、ここが焼物の町だったことを想像することは難しくなっていますが、よく見るとその頃を感じさせるものが残っています。それが佐大窯の六連の登り窯(大正7年築窯/杜の都景観重要建造物等指定建造物)です。
この登り窯は、緩い斜面にレンガを積み上げ、その上に土を塗った、幅1.5m、奥行き5m、高さ1.8mの窯が6つ連なったもので、斜面の下の焚口に火を入れると、熱が6つの窯に次々に伝わる仕組みになっていました。
埃にまみれて清掃作業
2001年堤町まちかど博物館準備ワークショップ
堤町まちかど博物館の開設の経緯
佐大窯窯元の佐藤達夫さん(故人/堤町まちかど博物館初代館長・佐大商店店主)は、1981年に廃業したあとも、いつかは町の資料館にしようと、この登り窯と隣接する作業場を壊さずに大切に守り続けてきました。また、江戸時代からの堤焼や堤人形のほか、つくりかけの焼物、釉薬、焼物道具、人形型など堤焼と堤人形に関する一切のものを同様に保存してきました。しかし、この場所は、都市計画道路川内南小泉線(2013年廃止)の中にすっぽり入っていて、いずれ壊される運命にあると嘆いておられました。
その後、計画道路は10年後まで着手されないことがわかり、その間だけでも、ここを整備し、資料館として公開したいという達夫さんの夢をかなえてあげようと、ネットワーク仙台は立ち上がりました。
2001年6月、佐大商店、つつみのおひなっこや、150人を超える大学生や市民、ネットワーク仙台が力を合わせて清掃や展示物の整備に汗を流し、堤町まちかど博物館はオープンしました。
震災前の活動
開館してからも、傷んでいた窯の土壁や上屋の屋根の修復を重ねたほか、今では焼くことができない登り窯の代わりに焼物ができる体験窯や、藩政時代の関税所役宅の御仲下改所(おすあいどころ・2001年夏解体)を記念した説明版を設置して博物館の展示に加えました。
博物館は、子どもから高齢者まで多くの人々に親しまれるようになりました。とりわけ、小学校の総合学習や子ども会活動としての焼物づくりや堤人形の絵付けなどの体験が盛んに行われるようになり、教育の場として活用されてきました。
堤焼や登り窯について話す達夫さん(左端)
2001年堤町まちたんけんワークショップ
体験窯をつくろう
2002年登り窯修復ワークショップ
はだしで土をこねる“手元”
2003年登り窯修復ワークショップパート2
手びねりで茶わんをつくる
2004年焼物づくりワークショップ
頼もしい助っ人 “左官職人”
2003年登り窯修復ワークショップパート2
2003年、南小泉小6年生の地下鉄東西線プロジェクトを指導した酒井敦子さんと酒井知子さんが堤町まちかど博物館を訪問
御仲下改所記念板(2002年設置)の前で記念撮影